唐津暮らし〜ここちよい生活のはじまり

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Uターン移住に対する家族での向き合い方

加茂博之さん

唐津市出身

高校を卒業後、唐津を離れ東京で長年暮らしていた加茂さん。今回は、加茂さんが故郷へUターン移住したきっかけや家族3人の移住に対する向き合い方、新たに飲食店を開業した話、実際に移住した後の地域との関係性を伺った。

Q1. 移住前はどこでどのようなことをしていましたか?

高校まで唐津で過ごし、就職をきっかけに上京。東京で27年間過ごしました。はじめは会社でサラリーマンとして勤めていましたが、音楽活動にのめり込むうちに脱サラを決意し、音楽活動の傍ら生活するために飲食店でアルバイトをし始めました。飲食店での仕事を続けていく中で接客や調理の仕事が好きになり、ジャンルの違う様々な飲食店で働きました。2011年の東日本大震災をきっかけに、自分も手に職をつけておいた方がいいと思い、調理師免許を取得しましたが、その当時はこれから地元唐津で飲食店を開くなんて全く思っていませんでした。

Q2. Uターン移住のきっかけや決め手を教えてください。

子育て環境、家族のこと、仕事のことなどの複合的な要素がありました。

 

まずは、娘の子育て環境を考えた時に、地方で子育てしたいと僕も妻も思っていました。東京は何でもあって豊かな場所だと思います。だけど僕たちは、何も無いからこそ自分がやりたいことをどうやったらできるだろうかと、子ども自身で創意工夫して考えられる、そういう環境が良いと思っていました。やりたいことをやりたいままに直ぐにできるような環境下の方が子どもをのびのび育てられるんじゃないかなという思いがありました。

 

二つ目は、私は長男でしたのでいつかは故郷に帰ることを考えていました。親はどうしても先に旅立ってしまいますし、好きなことを散々やらせてくれた両親と過ごせる時間がどれくらいあるんだろうとぼんやり考えていて。特に娘が初孫だったこともあり、両親が笑顔で過ごせるような存在になると良いなと思ったんです。

加茂さんご家族(唐津市少年科学館にて)

三つ目は、唐津での仕事のめどがたったことです。

移住先で家族との生活を成り立たせるための収入源をどうするか具体的に考えた時、自分の得意なことや好きなことを仕事にしたいという思いがありました。海街丼(ウミマチドン・加茂さんが開業した海鮮丼の店)の本店は東京にあり、働いていた当時、社長から暖簾分けの話をもらったことで、海街丼を開業できれば、自分の好きな仕事を地元唐津で続けて行けると思いました。

 

ぼんやり考えていたことが複合的に合致して、移住・開業に向けて動き出しました。娘に対して、「自分の好きなことをして良いんだよ」っていう姿を見せていきたいと思っていて。それをうまく自分の仕事としてやっていけるんだっていうことを親として証明していきたいと思っています。

Q3.移住についてご家族でどのように進められたのですか?

移住する前から家族で何度か唐津には来ていました。妻は東京都の三宅島出身なのですが、唐津の七ツ釜に連れて行った時の道すがら、「坂道を登っていく間に海が見える景色は見たことあるような気がした。だから全然知らないところに来たっていう感じがしない」と。故郷の三宅島に似ていて唐津に対して好意的な印象を持ってくれました。ただ現実問題として、新しい場所での仕事や生活環境に対する不安は抱えていたので、私の移住に対する想いを伝え、私の行動を見て少しづつ不安な思いを拭いとってくれ、移住のことも開業のことも妻は「いいんじゃない」と言ってくれたんです。

七ツ釜の景色

ただ、娘にはすごく泣かれてしまいました。当時小学校二年生で、保育園時代からの大事な友達と離れてしまう。娘からすると「なんで突然違うところに引っ越さないといけないの」って思いますよね。子ども扱いせずに、僕なりに娘がわかる言葉に直して話しました。その日は何時間かかってもいいから本人の中にあるもの全部聞いてあげようって決めて、娘は「友達のことを忘れちゃうことすら忘れて、遠くに離れてしまってそのまま会わなくなってしまうことが嫌だ」と言ったんです。そういう事に絶対にならないように僕らがちゃんと東京の友達の親御さんと連絡を取るし、毎年必ず夏休みや冬休みにお友達に会いに行くことを約束し、最終的に「なんか大丈夫な気がする」と娘が言ってくれました。

Q4.実際に移住されて、子育てや小学校の環境に変化はありましたか?

小学校の規模は東京で通っていた学校と同じぐらいの生徒数でした。先生も丁寧にケアしてくださるし、学校には唐津出身ではない子も結構いて、都会から来た子というような変な目で見られることもなかったです。入学式の日、クラスメイトの子と手をつないでいたらしいんですよ。適応力がすごいなとホッとしました。

 

お店は学校と自宅との中間地点にあるので、娘は帰りに必ず寄ってくれるのですが、隣の店のお茶屋さんもすごく良くしてくれて、見かけたら必ず声をかけてもらったり、家族以外の地元の人の目で見守ってもらえることがすごく良いなと感じています。

お隣のお茶屋さんとの写真

Q5.ご夫婦で働き方に変化はありましたか?

雇われていた頃は会社の中で給料や営業時間が決まっていましたが、今は個人経営になったので自分の努力がダイレクトに収入になって、暮らしの豊かさに繋がっていくと実感しています。逆に責任感や怖さもあるんですが、実直に仕事に取り組めば結果に繋がっていくと思っています。

 

東京時代に働いていた飲食店は夜も営業していて、妻が1人で娘を見ていなきゃいけない時間が多くありました。今は自分で営業時間を決められるので、18時で閉店して家族で一緒に晩ご飯を食べられる時間を作れたり、娘の習い事がある日は店を15時までにして、家族に合わせて仕事ができるようなスタイルになりました。

 

妻は元々リモートでデザイン系の仕事をしていたんですけど、独学で身につけてきたところがあるので、改めて基礎から学び直しの時間を作っています。デザイナーの仕事はお休み中ですが、自分の店が忙しい時に手伝ってもらっています。

Q6.移住や起業についてどこに相談をしましたか?

知り合いに「よろず支援拠点」という窓口があることを教えてもらい相談に行きました。そこでは起業の相談以外にも、東京にある「ふるさと回帰支援センター」という全国の移住相談窓口を紹介してもらい、佐賀県の移住支援や移住起業セミナーの情報をいただき、まずは佐賀県主催のセミナーに行ってみました。他には、「唐津暮らしオンライン移住相談会」にも参加したことで、唐津市の移住コンシェルジュと繋がることができ、市の支援制度をはじめ、地元の方や先輩移住者も紹介してもらいました。

加茂さんが参加した唐津Switch移住者交流会

Q7.お店を開くまでに大変だったことや物件との出会いを教えてください。

店舗開業に向けて情報収集を始めてからは、融資の申請と不動産屋とのアポイントを同時進行で進めながら、年に5回ぐらい唐津と東京を行き来しました。融資を受けることが全く初めてだったので、書類の書き方や手続きの踏み方とか分からないことだらけでしたが、担当の方が丁寧に教えてくださいました。

 

物件は元々唐津駅から唐津城までを半径としたエリアをイメージしていました。不動産屋に相談に行ったとき駅前で一軒ちょうど空くところがあると言われて見に行った物件が、今のお店の場所でした。外観を見て、この佇まいにビジョンがしっかり想像できたんです。運が良かったなと思います。狙ってここにしたわけではなくて、偶然ここと出会えたという感じですね。その後、唐津市の商工振興課の方にサポートしてもらい創業支援の補助金を受けることができました。自分が分からないことはそれぞれの分野の専門家の方たちに直ぐに相談するというスタンスで、1つずつ地道にクリアにしていく作業が一番大変でしたね。いろんな方に相談して進めたことで、当初予定していた準備期間(1年間)でお店をOPENすることができました。

唐津駅前にある店舗

Q8.海街丼はどんなお店ですか?お店への思いを教えてください。

加茂さんのお店の海鮮丼

僕のお店は海鮮丼を提供するカウンター7席のオープンキッチンなんですが、これまで経験してきたお店も、お客さんから調理しているところが見えるオープンキッチンでした。お客さんの目が届くからこそ疎かにできないっていう緊張感がありますが、カジュアルにお客さんと接して、やることをしっかりやってお客さんにも喜んでもらえるっていうスタイルが、自分としてはすごく性に合っています。

 

すこし遡るんですが、サラリーマンを辞めた理由を自己分析した時に、自分がやっている作業が誰の、何の役に立ってるのか全くわからなかったのが嫌だったんだとわかりました。お店では1対1が7席あるという感覚で、お客さん一人一人のためにやっています。それに対してダイレクトにありがとうが返ってくるっていうのはもう喜び以外の何ものでもないです。もちろんクレームもダイレクトに返って来るので、絶対に手を抜かないですし、緊張感と責任感を持って1つ1つ丁寧にやっています。

Q9.唐津に移住をしてから暮らしに変化はありましたか?

再会できた友人が結構います。一番びっくりしたのは娘と同じクラスで仲良くなった女の子の母親が僕の同級生でした。何かあったら預かるよって言ってくれて、土日に娘が1人で留守番をしないといけない時や店が忙しい時に預かってもらっています。昔から知ってるので、気心知れていて頼みやすく、本当に助かっています。

 

お店の方では幼馴染に助けてもらいました。唐津でお店を出すなら唐津の醤油を使いたいなと思っていたんです。僕の幼馴染が高校卒業してからずっと宮島醤油に勤めていて、お店を開くと決めてから真っ先に彼に相談しました。そこで、醤油を10種類ほど味比べさせてもらい、今の醤油に決めました。久しぶりの再会でも、こうやって助けてくれる人がいることに感謝です。

他には、NPO法人唐津Switch主催の移住者交流会に参加した時に出会った地元の方や移住者と仲良くなり、新しい繋がりも生まれています。交流会で出会った方に音楽酒場に連れて行ってもらい、今はそこで音楽ライブをやらせてもらっています。更に、その場で出会った方が音楽教室をされていて、娘は今そこのピアノ教室に通っていて、人との縁でどんどん輪が広がっていってます。

Q10.Uターン移住する前と後で唐津の街に対する印象の違いはありますか?

僕自身、高校生までしか唐津にいなかったので、当時は自転車で行動できるところしか行けなかったんですよね。元々、唐津駅から少し離れた久里地区育ちなのでおくんちの風習もありませんでした。Uターン移住ですけど、元いた場所(実家)に戻ったわけではなく、唐津を覚え直すような新鮮な気持ちです。移住して1年しか経っていないですが、最近、肥前町のいろは島を初めて訪れた時、「こんな景色が綺麗な場所が唐津にあったのか」と。再発見する事が多々あります。

肥前町いろは島

Q11.今後取り組みたいこと・目標はありますか?

海鮮丼の締めに、無料で提供している鯛だし茶漬け

加茂さん:お店の方は今のまま丁寧に丁寧にやっていければいいのかなと。僕は自分の手の届く距離感でやっていきたいと思っています。

インタビュアーお話を伺っていて、こういうお店のスタイルだからこそ、唐津の魅力的な人やスポット、食と繋がることができるんですよね。加茂さんの海街丼を通して街の中の人たちの顔が思い浮かべられるような店だなってすごく思いました。

加茂さんそうなってくれたら良いなと思います。唐津っておいしいものが食べれるところっていう前情報は皆さん持ってきてくださっているので、そこをしっかりと上書きできるように。「やっぱりおいしいね唐津のごはん」というところにちゃんと繋げていきたい。

 

唐津に戻って来てから、唐津には、誇れるものが沢山あると感じています。その内の1つに私の店がなれたらいいなと思いますし、地域の方に繋いでもらったお客さんを唐津の街や人に繋げていけるような玄関口でもありたいとも思っています。

後は、音楽活動を通して地元唐津を盛り上げたいなと思っています。これは僕一人ではできないので、唐津で音楽活動をされている方と繋がっていけるように活動していきたいなと思います。

奥さんとのライブの様子(唐津の友人の音楽教室にて)

Q12.移住を検討されている方に向けて何かメッセージやアドバイスをお願いします。

お試しでもいいのでまずは現地に来てみて、肌で感じることがすごく大事かなと思います。この間、お客さんがおっしゃってたんですけど、「唐津は何があるって言葉にできないけどなんか好きなんですよね」って。僕もすごくわかるんですよね。「言語化できないけれどなんか良い」というその感じが。多分その言語化できないところに魅力があると思うので、まずは実際に唐津を訪れることが一番いいと思います。

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