【唐津市呼子加部島ドライブ】伝統とのおもわぬ遭遇
呼子加部(かべ)島は、呼子大橋でつながる島である。
面積は2.72㎢、人口は533人(2015国勢調査)イカで有名な呼子町中心部から、ほどなく行ける農林漁業中心の島である。唐津市街地からは車で30分ほど。呼子大橋を渡って、道を上っていくとまっすぐ伸びる一本道、玄界灘に面した牧場。
う〜ん何か牧歌的、時間の流れもゆったりとしているような気持ちにさえなる、気持ちいい島だ。
もちろん呼子名物のイカを食すお店も軒を連ねる。また、島の東部に鎮座する田島神社は肥前国最古ともいわれ、歴史を感じさせる島でもある。
イカを食して、ドライブを続けると、
「島の鍛冶屋」「包丁専門」という幟(のぼり)が目に付いた。
この時代に鍛冶屋!?気になった我々は吸い込まれるように鍛冶屋にハンドルをきった。
包丁鍛冶屋の名前は「向(むこう)刃物製作所」。
こころよく親方とお弟子さん(と言っても親子)が迎えてくれた。
向刃物製作所は、水本焼(みずほんやき)という手法を専門とするこだわりの包丁鍛冶の専門店。
水本焼というのは、800℃ほどに熱した鋼を水に浸すという作業を繰り返して鋼を強くしていく手法で、失敗するケースもあることから今では水本焼をする鍛冶屋はごくわずか。
九州では向刃物製作所だけではないだろうかとのこと。
このように20~25の工程を通して包丁が出来上がるという。機械ではなく手作業にこだわり続けてきたという親方。
もはや工芸品に近い向刃物製作所の包丁は、これまで受け継がれてきた伝統を今に残す一品だ。家庭用ではなく、料亭などの板前さんが使うようなプロ仕様のものを多く製作しているとのこと。
唐津市に鍛冶屋があるとはつゆ知らず、これまでの歴史を聞いてみた。
親方は加部島出身。15歳で呼子町の包丁鍛冶に弟子入りし、その後本場の大阪・堺で腕を磨いたという。
40歳の時に独立し、52歳の時に故郷加部島でUターン開業し約30年になるとのこと。
以前は唐津市全域でいくつかの包丁鍛冶屋があったがいずれも廃業したんじゃないかということだった。
「包丁は消耗品じゃないからね。一昔前いや二昔前までは親子2~3代にわたって使っていたから。長年使い込むことで切れ味が増すんだよ。 でも最近はどこでも『消耗品』の包丁をみんな買うようになった。スーパーはカット野菜も売られている。昔ながらの包丁はあまり家庭用に馴染まないのかな。大量生産されたら勝ち目はない。」
なるほど、ここ数十年であらゆる伝統産業が衰退してきたわけだ。
向刃物製作所の販売状況だが、約9割は堺にある卸に出荷、残り1割が店頭販売だそうだ。実際に販売している包丁を見せてもらった。
まず刺身包丁。「玄海正国」の刻印に重みを感じる。綺麗に研磨されているのは、実用タイプではなくアンティークなど鑑賞用としてのもの。
鑑賞用の包丁とは初耳で、床の間で刀を飾るイメージなのか。
さておき、包丁の形や輝きは、取り扱う食材だったり、地域によって異なるらしい。
ここまでやってこられた理由を聞くと、
「やはり手作業にこだわってきた結果なのかな。」
ということだった。
現在2代目の俊征さんに世代交代しているものの、今後弟子の受入はしない、いや、できないらしい。それほどマーケット的にも厳しいのだという。
それ以外にも材料の仕入れにも手を焼いている。
「弟子になりたいと来られた方がいましたが、残念ながら断りました。今後一層業界は厳しくなるし、その余裕もない…。」
無慈悲に突きつけれた現実に私たちも言葉がでない。部外者が思っているほど甘くはないということだ。
しかし、話をする中で希望もあった。
「包丁だけでは太刀打ちできないのは分かっている。鍛冶体験を計画したり、唐津焼や唐津産品を利用した料理など、既に市内にあるものとコラボができたら面白いのかな。これまで卸に出荷するのがほとんどだったけど、店頭販売も充実できたら」と俊征さん。
確かに既存のモノやサービスを組み合わせることで新たな価値を創るのは聞いたことがある話。作業場である鍛冶場も見せ方次第で、価値が提供できる空間になり得るかもしれない。そして、親方の米雄さん、お弟子の俊征さんのお人柄でもっと魅力的な空間を演出できるだろう。
加部島を一周するドライブは思わぬ伝統産業との遭遇で、現実と希望が見えたそんな旅だった。皆さんも一度足を運ばれて、包丁の素晴らしさを実感されてはどうだろうか。
【Information】
向刃物製作所
〒847-0305 佐賀県唐津市呼子町加部島297-1
電話 0955-82-4459