地域とのアート的コミュニケーションの取り方
本田麻里さん 松尾栄太郎さん
長崎県諫早市出身 長崎県波佐見町出身
「アーティストは、自分を曝け出すことで作品を作るんですけど、移住先の地域との関わり方も同じではないかと感じています」
そんな言葉をインタビューの中で話していたのは、唐津市七山に移住し、アートギャラリーを運営する本田麻里さん(以下「麻里さん」)と松尾栄太郎さん(以下「栄太郎さん」)。今回は、麻里さんと栄太郎さんから山間のエリアでの暮らしや移住の経緯、地域との関わり方を伺った。
Q1. 移住前はどこでどのようなことをしていましたか?
麻里さん:移住前は長崎県の大村市で長く看護師の仕事をしていました。その後、子育てに集中したいと思い、子育ての合間に子どもたちの支援や、イベントのお手伝い、資格を取ってベビーマッサージを教えていました。
栄太郎さん:大学で京都に行ってから唐津に来るまでの28年間は京都に住んでいて、京都ではアートに関わる仕事をし、自分の作家活動のほかにギャラリーの立ち上げにも携わっていました。
Q2.最初は麻里さんが唐津に移住されたそうですね、移住のきっかけや決め手はなんですか?
麻里さん:子育てがひと段落して、もう一度働こうと思った時に、唐津市の浜玉町にある子連れで出勤ができる介護施設とのご縁がありました。仕事が決まり、子どもの保育園を探している時に七山の保育園と出会い、自然も多く保育園の雰囲気も子どもの性格に合うと思い職場にも近い七山に住むことを決めました。
当時、七山の物件情報がほとんど出ていなかったのですが、自分のことやこれから浜玉町で働くこと、住む場所を探していることを地域の方に相談したら、たまたま実家が空いてるよと言ってくれる人がいたんです。タイミングが重なって2018年頃、長崎から七山に移住しました。
唐津市七山の風景
Q3.麻里さんは七山内で拠点を変えられたそうですが、現在の場所との出会いや経緯を教えてください。
麻里さん:移住した当初は同じ集落の別の家に住んでいて、2020年に今の場所に移りました。この場所が空き家になっていて、以前から気になっていたので近所の人に相談したところ、「空き家の所有者さんを知っているから繋げてあげようか」と言ってくれました。
所有者の方は、「もう家族はこの家には戻らないし、朽ち果てていくだけだから住んでくれるんだったら」と片付けを私たちでするという条件で今の物件に移ることができました。
Q4.なぜ七山でアートギャラリーを始めたんですか?
アートギャラリー『A3gallery』
麻里さん:看護の仕事を辞めてからこれから何をしていこうかと考えた時、今までずっと子どもと離れて仕事をしていたので、子どもの気配を感じながら仕事ができたらいいなとどこかで思っていたんです。そんな時、高校の同級生だった栄太郎さんと再会し、栄太郎さんの作品を飾る空間を作りたいと思うようになりました。アートに関して私は素人でアートギャラリーの事もわからないまま動き始め、模索していく中で自宅の空き倉庫を使ってギャラリーを始めることを決意しました。
栄太郎さん:ある日、麻里さんから電話がかかってきて、「ギャラリーをする」と言われたんです。僕の作品が九州であんまり発表されておらず、九州でも作品を見せたいという思いで、僕の作品が飾れるギャラリーを作ると。でも、ギャラリーの世界って難しい世界だから、中途半端なギャラリーだったらしない方がいいと思っていました。
そこで僕も京都から通いで麻里さんのギャラリーの改修を一緒にやりはじめ、次第にこの場所への愛着が湧いてきました。そのうち作品も全部七山に運んで、京都の方は作るだけのアトリエになりました。そうなるともう自然の流れで、もうこっちに移住しようかなと。
僕の移住のきっかけは麻里さんの行動力や想いですね。
栄太郎さんのアトリエ
地域の方とDIYでアートギャラリー作り
Q5.地域との繋がりや暮らしの変化はありますか?
麻里さん:ギャラリーの改装のために草刈りをし始めたら、地域の人が「綺麗にしてるね」って栄太郎さんに話しかけてくれる人が増えたんですよ。
まだ移住前で、京都から通いで行ったり来たりしていたのに、地域の人みたいになっていき、ギャラリーをきっかけに地域の人との接点が少しずつできてきました。
栄太郎さん:場所が綺麗になり、風の流れが変わる感じで、人の流れも変わったんだと思います。ここはギャラリーだし、みんなが来れる場所じゃないですか。毎日誰かが来ていましたよ。
ここはギャラリーの他に『Chu-Chan-Chin』(チューチャンチン)というカフェもやっているんですが、一度試しにカラオケを入れてみたことがあるんです。お店を開けていたら全然知らない地域のおじちゃん達が「今日は空いとっとねー」って突然遊びにきて。それもここは昔、地域の人が集うカラオケがあったそうで、久しぶりに電気が煌々とついてたもんだから、近所の方が遊びに来たみたいなんです。
それがきっかけでギャラリーにもよく遊びに来てくれるようになって、今では何か困ったことがあったら相談できるような存在になりました。悩みを相談できるおじいちゃんやおばあちゃんが毎日入れ替わりでやってきて何か持ってきてくれたり。悩みを聞いて、支えてくれる方がいるおかげでこの地域で住みやすくなりました。
Q6.地域での取り組みを教えてください。
麻里さん:地域の廃材を活用して七山安全祈願祭を行いました。
七山では国際渓流滝登りという滝を登るイベントがあります。ここで使われるヘルメットが400個ほど破棄されるということで、実行委員の方からヘルメットを使って何かできないかと相談を受けました。
栄太郎さん:僕の中では神仏に繋がるものがいいなと考えていました。今回の災害(※令和5年7月豪雨災害)もありましたし、コロナ明けで滝登りの再開の年ということもあって、安全祈願に繋がるものになったらいいと思いました。オファーをくれた実行委員会の方々との話し合いの中では、ヘルメットを鱗に見立てて恋が叶う鯉がいいんじゃないかなどアイデアが出てきて、鯉が川を登ると龍になる。そこでヘルメットを龍に見立てた水神様を作ることになりました。
麻里さん:当日は七山の地域の方や子どもたちと一緒に破棄される予定だった400個のヘルメットと滝登りの時に使う古くなったロープ、近所の方にもらった竹やキウイのつる、みかんの枝などを使って龍を作り、蛇踊りのように滝登りのコースを練り歩きました。七山太鼓の皆さんがお囃子を奏でてくれたり龍泉寺へのお参りもコースに組み込むことができて、奉納や安全祈願のイメージがグッと増しました。
廃棄されるヘルメットを活用して作った水神様
栄太郎さん:今回みんなで作った水神様を担いでお参りをした龍泉寺には川の御神木のような木があって、それも何百年も昔の木が災害で流されて七山のこの地に根付いているという地域の伝説があるんです。あの御神木も移住者なんですよ。
今回破棄される予定だったヘルメットを活用してもらえないかと相談を受けてから、何をするか、どう作るか、材料集めの過程全てが何かに導かれるように繋がっていっていたように感じます。今後は水にまつわる行事の時に水神様を出張して安全祈願をするっていう事もできるんじゃないかと思っています。七山から発信した唐津に貢献できる動くアートも面白いですよね。
麻里さん:実行委員会からの相談をきっかけに始まった今回の安全祈願祭でしたが、これまでは破棄されていたものが、ここに持って行ったらアートに変えてくれるんじゃないかと、そう思ってくれたのが嬉しかったです。ギャラリーがあったから、実行委員の方も破棄する前にと声をかけてくれたんだと思います。実行委員会の方も想像以上によかったので、これをきっかけに何かまた発展したらいいと言ってくれました。今回のイベントでいろんな可能性を感じましたし、今までなかったアートを通した創造性が街に波及していくだろうなと思いました。
栄太郎さん:僕は自分のアイデアだけでなく、人の意見を聞いて取り入れて何か作っていくことが好きで、アートをどう地域に生かしていくかということに面白さを感じています。なのでここが地域を繋いで広げていくギャラリーになればいいと思います。
Q7.今後、取り組みたいことや目標を教えてください。
栄太郎さん:僕は身の回りにあるものを作品に使うので、ここに移住してきたことでどんな作品がこれから生まれていくのか楽しみです。基本的な表現は変わらなくても使ってる素材が変わることで作品も変わっていきます。自分も未知の世界ですし、これからどんどん七山や唐津の文化やルーツを探っていきながら、自分の素材を探していこうと思っています。
麻里さん:もともとここはみかんの貯蔵庫だった場所で、みかんを保管する木箱がたくさんあったんです。80年も前の箱なんですけど、生活の糧になるからと、綺麗に作られていて大事に保管されていました。この木箱が栄太郎さんの作品として生まれ変わるところを私は間近で見ることができて、それを感じながら作品の説明ができます。そこを強みとしてギャラリーに来られた方や県外の展示会で、栄太郎さんや他の作家さんの作品の魅力や、七山のことを伝えていきたい。
そして、この1年間やってきて、自分の働きが地域の貢献になるかもしれないと感じてきています。ここに住み続けて、ここでギャラリーをやっていくために地域での活動をやっていきたいという2本の柱が今後の目標です。
みかんの木箱を活用した自作の棚
Q8.移住を検討をされている方へメッセージをお願いします。
栄太郎さん:移住をするって、その地域のルールや文化、ルーツを知ることがまず大事で、その中に自分たちがどう参加できるかだと思います。いくら自然や景色が美しい場所だからと言っても、やっぱり地元の人との関わりが一番大事だと思うんです。
ここは、現代アートを展示するギャラリーで、なんとなく近寄りがたいと思われるかもしれないけれど、都会のギャラリーとは違う、七山だからこそのやり方があると思っています。例えば、ここに来て僕らやここに来る地域の方と話して、仲良くなって。そういうコミュニケーションが生まれる場所かなと。僕らは自由に時間を使っているので、遠慮なく来てくれたら良いなと思っています。ここはそんなスペースです。
麻里さん:最初から構えなくても良いのかなと思います。そこの土地に行き、実際生活してみないと見えないところもありますし。一度移住したからと言って、そこから引っ越しできないというルールもないじゃないですか。私も気楽にここに来ました。
その土地に行くと誰かが声をかけてくれたりするんですよ。仲良くなって話が長くなって、他に「やりたいこともいっぱいあるのに」と思うこともあります。けど、そういう日々のちょっとした積み重ねが地域の人とのコミュニケーションになって、どんどん広がっていく。自分が本当にここに住んでみたいなと思う場所だったら、もっと気楽で自然体でいいと私は思います。何か困ったら、私達に頼ってもらってもいいですし、同じ移住者の人に話したり、移住相談窓口という場もありますし。自分が居て心地がいい場所とちょっとの仲間がいればそこから移住先での暮らしが波及していきますよ。
Q9.最後に『A3gallery』の名前の由来を教えてください。
麻里さん:アートの『A』や栄太郎さんの名前から『A』を取っていることもあるんですが、ギャラリーを作り始める前に、建物の壁に『A1』『B1』『C3』と書いてあり、近所の人にこれは何かと聞いてみたところ、みかんを選別するランクを示す記号だとわかったんです。
そこから、ここのあるものを生かすっていう意味でも、ここの場所を受け継ぐっていう意味でも『A3ギャラリー』という名前は良いのではないか。自分たちなりにこの場所を使わせてもらいます。という意味も込めて名前をつけました。ロゴは壁に残っていた、そのままの字体を使っています。